難波新川(難波入堀川)跡|何があった場所か

江戸時代、幕府直轄の米蔵「難波御蔵」への水運を良くするために開削されたと伝わる堀川の跡。道頓堀川から分岐し、貧民救済のための土砂運搬工事だったことから「極貧堀」とも呼ばれたとされる。戦後に埋め立てられ、跡地は現在の阪神高速1号環状線などにあたるとされる。
現地の写真

編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 大阪市建設局のコラムが、埋め立てられたおもな堀川の一つとして難波新川を挙げている。
- 浪速区役所の公式ページに、碑(浪速区難波中二丁目、なんばパークス北側入口付近)の解説がある。
そのため、このページではこうしています
- 堀川は線状に伸びていたため、ピンは碑の位置を代表点として置いている。川筋全体を示すものではない。
現地確認: 実施済み
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 開削の目的を「貧民救済のための工事」とする記述があるが、孫引きにとどまり、元の資料まで確認できていない。
- 埋立年は、浪速区役所の公式情報が1958年、角川日本地名大辞典を出典とする記述が1959年で、1年の差がある。どちらとも確定できない。
参考・出典
- 「難波御蔵・難波新川跡」の碑 - 大阪市浪速区
大阪市浪速区役所(自治体公式) - コラム2「水の都」大阪(建設局)
大阪市建設局(自治体公式) - 難波入堀川 - Wikipedia
Wikipedia(出典:角川日本地名大辞典27大阪府) - 難波入堀川(なんばいりぼりがわ)とは - コトバンク
コトバンク(出典:日本歴史地名大系、平凡社)
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この痕跡を掘り下げた記事
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