堀江川跡(北堀江・南堀江間)|何があった場所か
元禄期に河村瑞賢による堀江新地開発で開削されたと伝わる堀川の跡。西横堀川から分かれて木津川へ注いでいたとされ、埋立後は「北堀江」「南堀江」という町名の南北の境界として名残をとどめているとされる。
時のながれ
- 元禄11年(1698年) — 河村瑞賢による堀江新地開発の一環として堀江川が開削されたとされる(西横堀川の清水橋下流側から分流し、西へ木津川まで約1.3km)。
- 江戸期 — 堀江橋・浪速江橋・隆平橋など9つの橋が架けられ、藍玉屋が沿川に多く立地し阿波産・難波産の藍の流通地として機能したとされる。
- 昭和35年(1960年) — 戦後の瓦礫処理・下水道整備に伴い、大阪市内の他の堀川群とともに埋め立てられたとされる(大阪市公式サイトは埋め立てられた堀川の一つとして堀江川を明記)。
- 現代 — 堀江川跡を境に北側が「北堀江」、南側が「南堀江」という現行の町名として名残をとどめているとされる。
備考
大阪市公式サイト(建設局)の「埋め立てられた主な堀川」一覧に堀江川の記載があることは確認できたが、同ページに開削年・埋立年の記述はない。開削(1698年/元禄11年、河村瑞賢)・埋立(1960年/昭和35年)・分流地点(西横堀川の清水橋下流)・合流地点(木津川)といった詳細はWikipedia記事に基づくが、同記事自体に「この節の加筆が望まれています」との注記があり出典が限定的なため、一次資料(角川日本地名大辞典等)への到達は未実施。したがってevidenceは「資料候補」に留める。座標は堀江公園(南堀江1-13)を北堀江・南堀江間の代表点として採用した推定地点であり、川筋そのものの厳密なライン照合は行っていない。既存data.jsのID1〜4(長堀川・西横堀川・立売堀・江戸堀京町堀)とは重複しない別の堀川であることを確認済み。
参考・出典
- 大阪市:コラム2「水の都」大阪(建設局)(大阪市(公式))
- 堀江川 - Wikipedia(Wikipedia(出典脚注が限定的、加筆要請あり))
- 堀江 (大阪市) - Wikipedia(Wikipedia)