薩摩堀川跡(薩摩堀北公園・碑)|何があった場所か
薩摩堀川は江戸期に開削され戦後に埋め立てられた運河の跡とされ、跡地には「薩摩堀川跡」の碑が大阪市顕彰史跡として西区立売堀4-2の薩摩堀北公園内に建てられていると確認できる。ただしシートが付記する「中之島図書館付近」という位置は、実際の跡地(西区立売堀・阿波座一帯)とは地理的に一致しないと考えられる。
時のながれ
- 1628-1630年(寛永5-7年) — 大坂天満組の惣年寄・薩摩屋仁兵衛により開削工事が行われ運河が完成したとされる(Wikipedia、角川日本地名大辞典由来とみられ孫引き)。黒砂糖・琉球表など南国産物を扱う薩摩問屋が7軒あり、薩摩国の商船の出入りが多かったことから名付けられたと伝わる。
- 昭和35年(1960年) — 大阪市が「薩摩堀川跡」の碑を西区立売堀4-2の薩摩堀北公園内に建立(大阪市顕彰史跡、碑番21として直接確認)。
- 1951年(昭和26年)頃 — 戦災瓦礫処理・下水道整備により堀川が埋め立てられたとされる(Wikipedia経由、大阪市公式は埋立堀川一覧に含めることのみ直接確認、西暦は孫引き)。
- 現代 — 跡地は中央大通・新なにわ筋等の道路用地や薩摩堀北公園となっている。旧町名「薩摩堀◯丁目」は1960年の町名変更で消滅し、現在は立売堀4〜6丁目東部がかつての薩摩堀地区にあたる。
備考
重要: シードhintの「(現・大阪府立中之島図書館付近)」は地理的に誤りの可能性が高い。大阪市教育委員会の顕彰史跡データ(碑番21「薩摩堀川跡」)では所在地が「立売堀4-2、薩摩堀北公園内」(大阪市西区)と明記されており、これは大阪府立中之島図書館(北区中之島一丁目)とは全く別の町域(直線距離で2km以上離れた西区阿波座エリア)。おそらく「薩摩藩蔵屋敷」(上屋敷=土佐堀2丁目、中之島の対岸で図書館に近い)と、商人由来の運河「薩摩堀川」(阿波座・立売堀、薩摩問屋7軒に由来)との混同がシード作成時に生じたと推測される。開削年(1628年着工・1630年完成)・埋立年(1951年or市公式では「11番目」としか確認できず西暦は当方未確認)はWikipedia経由(角川日本地名大辞典由来とみられる)で資料候補レベル。座標は立売堀4丁目(薩摩堀地区)の町域代表点として、公園の正確な出入口までは確認できていないため推定。data.js既存スポットに薩摩堀川そのものの重複エントリは無いが、同じ西区の埋立堀川シリーズとしてid:3「立売堀(いたちぼり)川跡」(34.6790, 135.4925)が近接町域に存在し、テーマ的に隣接する(対象の川自体は別物)。verdictは「unverified」としたが、これは実在性自体を疑うものではなく、①碑の正確な座標・②開削/埋立の西暦の一次資料未到達・③シードhintの位置付記の誤りという3点で、公開判断には大阪市教育委員会ページの直接記載以上の追加確認(現地写真・座標特定)を推奨するため。
参考・出典
- 大阪市:大阪市顕彰史跡(西区・碑番21「薩摩堀川跡」所在地・建立年度を記載)(大阪市教育委員会(自治体公式))
- 大阪市:コラム2「水の都」大阪(埋め立てられた主な堀川一覧に薩摩堀川を含む)(大阪市(建設局))
- 薩摩堀川 - Wikipedia(Wikipedia(出典に角川日本地名大辞典等を想定、孫引き))
- 古地図で「薩摩堀川跡」碑を歩く | 幕末散歩(個人郷土史ブログ(現地取材・碑の写真あり))
- 立売堀 - Wikipedia(立売堀4-6丁目東部が薩摩堀地区と明記)(Wikipedia)