茶臼山(大坂の陣 両軍本陣跡・天王寺公園)|何があった場所か

天王寺公園内の標高26mの小丘。大坂冬の陣(1614)では徳川家康、夏の陣(1615)では真田信繁(幸村)が本陣を置いたと伝わる「茶臼山の戦い(天王寺口の戦い)」の舞台で、府指定史跡。丘の成り立ちには古墳説と河底池開削の残土説など諸説ある。
時のながれ
- 古代(諸説) — 前方後円墳とする説と、延暦7年(788)に和気清麻呂が上町台地を横断する堀川(河底池)を開削した際の残土を積んだものとする説があり、成り立ちは確定していない。
- 慶長19年(1614) — 大坂冬の陣で徳川家康が住吉から本陣を移す。昭和61年の発掘調査で本陣跡とされる建物・堀割が確認された。
- 慶長20年(1615) — 大坂夏の陣で真田信繁(幸村)ら約3500が布陣し、「茶臼山の戦い(天王寺口の戦い)」の舞台となった。
- 昭和47年(1972) — 「茶臼山古墳および河底池」として大阪府指定史跡に指定。現在は天王寺公園の一部として公開されている。
現地の写真



編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 大坂の陣で両軍の本陣が置かれたことは、大阪府と大阪市それぞれの公式ページで確認した。
- 昭和61年の発掘調査で、徳川家康の本陣跡とされる建物跡や堀割が確認されている。
そのため、このページではこうしています
- 座標は2026年7月30日の現地撮影時のGPS値である。撮影位置は山頂の標識前。
現地確認: 実施済み
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 隣接する河底池を、延暦7年(788年)に和気清麻呂が開削した堀川の名残とする説があるが、裏づけまでは確認できていない。
- この丘そのものの由来には説が分かれる。前方後円墳とする見方は円筒埴輪が見つかっていないことなどから疑問視される一方、盛土の工法が古墳に似ているとして可能性を残す見解もある。前方後円墳かどうかは確定していない。
参考・出典
- 府内の史跡公園等の紹介【茶臼山古墳および河底池(天王寺公園)】
大阪府(公式) - コラム4 茶臼山古墳・市立美術館・慶沢園
大阪市(公式) - 茶臼山古墳 (大阪市) - Wikipedia
Wikipedia - 茶臼山(天王寺公園)|真田幸村・家康ゆかりの大坂の陣舞台
大阪観光局
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このスポットが登場するテーマ
- 大坂の陣を歩く — 真田丸から幸村終焉の地まで④ 冬=家康本陣/夏=幸村本陣
この痕跡を掘り下げた記事
近くの痕跡
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