鳶田(飛田)刑場・墓所跡|何があった場所か
千日前と並ぶ大坂の刑場・墓所の一つがあったとされる地(現・西成区太子一丁目付近)。「跡地一帯に飛田遊郭が形成された」という通説には、郷土史の古地図考証で別の町域(1916年開業の山王3丁目)とする異説がある。
時のながれ
- 江戸期 — 摂州西成郡今宮村鳶田(現・西成区太子一丁目付近)に大坂七墓の一つ「鳶田(飛田)墓地」と、磔・火罪等を執行する刑場が設置されていた。1803年の古地図にも「鳶田墓」「刑場」の記載あり。
- 明治 — 1874年(明治7年)、市中の刑場・墓地が阿倍野・長柄等へ統合・移転。1903年頃の地図では当地は更地化。
- 1916年(大正5年) — 難波新地・曽根崎新地焼失後の代替地として、天王寺村字堺田(現・西成区山王3丁目)に飛田遊廓が指定・開業。これは鳶田墓地跡地(太子1丁目)とは別の町域とする郷土史考証がある。
備考
国立国会図書館レファレンス・郷土史古地図考証で刑場の実在を確認済み(2026-07)。座標を西成区太子一丁目の代表点目安に修正(旧座標から北東へ約350〜400mずれていたため)。
参考・出典
- 江戸時代に大坂にあった刑場の名称と場所を知りたい。(レファレンス協同データベース)(国立国会図書館 レファレンス協同データベース / 大阪市立中央図書館)
- 飛田遊廓 - Wikipedia(Wikipedia(補助資料、鳶田刑場説の記載なしを確認))
- 飛田墓をたずねて(個人郷土史ブログ(古地図考証、文化3年「増脩改正摂州大阪地図」等を典拠に提示))