三光神社「真田の抜け穴」|何があった場所か
境内に「真田の抜け穴」と伝わる穴が残る。大坂城まで通じていたという伝承だが、実際には徳川方の塹壕跡とする説もある。
時のながれ
- 江戸期 — 大坂冬の陣(1614年)で真田信繁が真田丸を築いたとされ、その際に大坂城まで通じる抜け穴を掘ったという伝承が生まれた(一方、実際は徳川方が掘った塹壕とする説が有力)。
- 江戸期(1769年) — 元和先鋒録に、徳川方の塹壕が庶民の間で「真田の抜け道」と誤って伝わっているとの記述があるとされる(原典未直接確認)。
- 明治(1903年) — 大阪府誌に「真田の抜け道と称するは誤りなり」との記述があるとされる(同上、原典未直接確認)。
備考
日経新聞・三光神社公式・Wikipedia(千田嘉博氏の学術書典拠)で両論併記を確認済み(2026-07)。抜け穴の由来自体は諸説併存で史実未確定。
参考・出典
- 大阪「真田の抜け穴」は庶民の誤解? 徳川方の塹壕説も(日本経済新聞)
- 三光神社<公式ホームページ> 真田丸ページ(三光神社(公式))
- 三光神社 - Wikipedia(Wikipedia(脚注に千田嘉博『真田信繁「勝利」への条件』2015年))