長堀川跡(長堀通)|何があった場所か
江戸初期に開削され、昭和期に埋め立てられた堀川の跡。現在の長堀通の下にあたり、「心斎橋」「長堀橋」などの橋名が地名として残る。
時のながれ
- 江戸初期(1622年頃、異説で1625年) — 伏見から移住した町人ら(三栖清兵衛・池田屋次郎兵衛・伊丹屋平右衛門・岡田新三ら)が中心となり長堀川を開削。東横堀川と木津川を結ぶ延長約2.4〜2.5km、幅30〜50mの運河として整備された。
- 江戸期 — 廻船問屋・材木問屋・各藩屋敷などが両岸に並び、水運の幹線として繁栄。心斎橋・長堀橋など多数の橋が架けられた。
- 昭和35〜46年(1960-1971) — 戦後の瓦礫処理・下水道整備により不要となり段階的に埋立。四ツ橋以東は昭和35〜37年、以西(西長堀)は昭和42〜46年に埋立完了。跡地は長堀通となり、地下にクリスタ長堀が整備された。
- 現代 — 長堀川自体は消滅したが、「心斎橋」「長堀橋」など旧橋名が交差点・駅名・地名として現存する。
備考
大阪市公式サイトで開削・埋立の経緯を確認済み(2026-07)。開削年は1622年説が有力だが1625年説もあり諸説残る。
参考・出典
- 大阪市:コラム2「水の都」大阪(建設局)(大阪市(公式))
- 大阪市:道路の昔の姿について(長堀通)みちるくんのつぶやき(建設局PDF)(大阪市(公式))
- まちあるき「長堀川はなぜ消えてしまったの?」(大阪市中央区オフィシャルサイト「大阪中心」)