地名の由来
大阪の難読地名の由来 — 喜連瓜破・放出・杭全は何の痕跡か
喜連瓜破、放出、杭全、立売堀。大阪の地下鉄や幹線道路の案内板でこの字面に出会って、読み方を検索した人は多いはずです。答えを先に書くと「きれうりわり」「はなてん」「くまた」「いたちぼり」。ただ、この4つの地名が面白いのは読み方そのものではなく、なぜそんな名前になったのかという由来の部分です。読めない地名は、たいてい古い言葉や失われた地形をそのまま抱えています。自治体の公式資料で確認できた範囲で、それぞれが「何の痕跡」なのかを整理します。
喜連瓜破(きれうりわり) — 渡来人の郷と、瓜を割った伝承
大阪メトロ谷町線の駅名として知られる喜連瓜破は、実はひとつの地名ではありません。平野区の「喜連」と「瓜破」、隣り合うふたつの地域の境目に駅ができたため、名前が連結されました。
平野区の公式ページによると、喜連はもともと「伎人郷(くれのごう)」と呼ばれた土地です。本居宣長の『古事記伝』(1798年)に、万葉集にいう河内国伎人郷の「くれ」が訛って喜連になった、という趣旨の記述があると紹介されています。呉の国から機織りの技術者たちが住み着いたので「くれ郷」になったという説も併記されていて、いずれにしても古代の渡来系の人々の記憶を引き継いだ地名という見方が示されています。「喜連」という縁起のよい字面は、後から選ばれた当て字とされます。
瓜破のほうは伝承の色が濃い地名です。大化年間(645〜649年)に道昭法師が祈念していたところ天からご神体が降ってきて、瓜を割って供えたことから瓜破と呼ぶようになったという説と、高野山へ向かう弘法大師に住民が水の代わりに瓜を割って差し出したという説を、区のページが両方紹介しています。どちらの説でも、この地が古くから瓜の産地だったことが背景にあると言われています。史実として確定した話ではありませんが、1300年以上前を舞台にした物語が地名として現役で使われている、という事実だけでも十分に痕跡です。資料の一覧は喜連・瓜破のスポットページにまとめています。
放出(はなてん) — 由来の説が3つ並び立つ、水の地名
調べていて一番意外だったのは放出でした。てっきり由来はひとつに定まっているものだと思っていたのですが、城東区の公式ページには性格の違う説が3つ並んでいます。
ひとつめは水の説。古代から中世のこのあたりは河内湖の水が流れ込む低地で、樋を作って水を調節し「放ち出した」場所だったことから名がついた、というものです。ふたつめは剣の説。熱田神宮の草薙剣(天叢雲剣)を盗んだ新羅の僧の舟が暴風雨で難破し、剣をこの地で「放り出した」ことに由来するという伝承です。みっつめは牧場の説で、天智天皇7年(668年)にこの地に牧を置いて馬を放し飼いにしたことから、という説明が載っています。昔は「はなちでん」「はなちで」と呼ばれていたという記述もあり、「はなてん」はその転訛と考えられます。
3つの説は互いに矛盾しますが、共通しているのは「何かを放つ土地」だったという感覚です。特に水の説は、このあたり一帯がかつて巨大な湖の縁だったという地形の来歴と重なります。鶴見区や城東区の低地には、湖だった時代の名残を示す地名や遺跡が点々と残っていて、放出はその代表格です。詳しくは放出地名のスポットページをどうぞ。
杭全(くまた) — 語源は諸説のまま、神社が1150年の目印
杭全は、由来調べの限界を教えてくれる地名です。「杭を全て打ち終えた」からという説や、川の股(くまた)の転訛という説などが語られますが、確かな出典のある説明には行き当たりませんでした。難読地名の由来は、こういう「諸説あり・確定せず」で終わるものが実は少なくありません。
ただ、語源が不明でも土地の古さは別の形で確認できます。平野区の公式ページによると、この地には貞観4年(862年)、坂上田村麻呂の孫にあたる当道が素盞鳴尊を祀ったのを始まりとする杭全神社が鎮座し、以来、環濠自治都市として栄えた平野郷一円の守護神として信仰を集めてきました。境内には全国で唯一現存するとされる連歌所や、樹齢850年以上と伝わる大クスも残ります。「くまた」という音が少なくとも千年以上この土地で使われ続けてきたことの、動かぬ目印です。出典は杭全神社のスポットページに載せています。
立売堀(いたちぼり) — 地名だけが残った川
最後の立売堀は、由来のベクトルが逆向きです。ここまでの3つが「古い言葉が残った」例だとすると、立売堀は「消えた地形が地名に残った」例にあたります。
西区の立売堀には、江戸時代に開削された立売堀川という堀川が流れていました。大阪市建設局のコラムによると、市内に張り巡らされていた堀川の多くは戦後、戦災の瓦礫処理や下水道の整備を背景に埋め立てられ、立売堀川もそのひとつとして姿を消しています。読み方の由来には伊達氏の陣所にちなむ「伊達堀」の転訛説などの諸説がありますが、確かなのは、いま「立売堀」という住所を名乗る場所に、名前のもとになった川がもう存在しないことです。地名そのものが川の痕跡になっています。
読み方の次に、由来をひとつ調べてみる
難読地名を検索するとき、たいていは読み方が分かった時点で満足してしまいます。もう一歩だけ進めて、その名前が何の痕跡なのかを調べてみると、湖の縁、渡来人の郷、消えた川といった土地の来歴が芋づる式に出てきます。注意点はひとつだけで、地名の由来には後付けのこじつけや確認できない伝承も多く混ざるため、「〜という説がある」以上のことは断定しない姿勢が安全です。この記事も、自治体の公式資料で確認できた説だけを紹介しました。
あなたの住所のまわりには、どんな由来の地名と痕跡が残っているでしょうか。→ 痕跡マップで自宅周辺の痕跡濃度を測ってみる
参考・出典
- https://www.city.osaka.lg.jp/hirano/page/0000001772.html
- https://www.city.osaka.lg.jp/joto/page/0000000780.html
- https://www.city.osaka.lg.jp/hirano/page/0000210328.html
- https://kumata.jp/
- https://www.city.osaka.lg.jp/kensetsu/page/0000009775.html