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調べ方ガイド

大阪の古地図比較、無料でできる方法を全部試した

2026-07-11

実家の場所が昔、田んぼだったのか、川だったのか、それとも何もない野原だったのか。気になって検索しても、大阪に特化した古地図サービスは意外と見つからない。今昔マップ、国土地理院、農研機構のシステムを実際に開いて確認したところ、大阪で使えるのは前者2つで、3つ目は関東地方専用だった。

で、結論。この痕跡マップ自体に「古地図モード」を付けた。地図画面のチップ列にある「🗺 古地図」を押すだけで、いま見ている大阪の地図が明治25年の地形図や終戦直後の空中写真に切り替わる。まずその使い方を説明して、そのあとで、より深く調べたい人向けに外部の専門ツールとの使い分けを書く。

痕跡マップの古地図モード — 押すだけで明治と現代を見比べられる

地図の「🗺 古地図」を押すと「時をさかのぼる」パネルが開く。時代は5つ。明治(1892-1910年の地形図)、昭和3年(1928年・大阪市域の空中写真)、戦中(1936-42年)、焼け跡(1945-50年)、高度成長(1961-69年)。見比べ方は3通り用意した。

もうひとつ、「明治の水辺」というスイッチがある。これは国土地理院が公開している「明治期の低湿地」データで、明治期に川・沼・湿地だった場所が面で浮かび上がる。[長堀川跡](../spots/1.html)のような「埋められた川」を一件ずつ辿るのもいいが、このスイッチを入れると、大阪の市街地がどれだけ水の上に建っているかがひと目で分かる。

古地図の端に見える「白い枠」の意味

古地図モードで地図を引いて(縮小して)いくと、明治の地形図が階段状の白い枠でぷつりと途切れているのが見える。作っていて一番面白かったのがこの枠だ。

枠がギザギザなのは、明治の地形図が「図幅」という1枚ずつの紙の地図として測量・刊行されたからで、枠の形はその紙の切れ目そのものだ。そして明治期の精密測量は全国一斉ではなく、都市部と重要地域から優先して行われた。つまりあの白い枠は、言いかえれば「明治の国家が、地図にする価値があると判断した範囲」の可視化でもある。京阪神の市街地と淀川筋が真っ先に測られているのは、偶然ではない。

ちなみに「江戸時代の地図は見られないのか」とよく聞かれるが、正確に重ねられるのは明治からになる。近代測量が始まったのが明治だからで、江戸の大坂図は測量図ではなく絵図——正確さより分かりやすさを優先した、いわば絵画に近い地図だ。国立国会図書館のデジタルコレクションなどで無料公開されているので、明治の地図で場所を特定してから江戸の絵図を眺める、という順番をおすすめする。

もっと深く調べるなら「今昔マップ on the web」

[今昔マップ on the web](https://ktgis.net/kjmapw/)は、埼玉大学教育学部の谷謙二氏が公開している時系列地形図の閲覧サイトだ。明治期から現在までの地形図を並べて、あるいは重ねて比較できる。実は痕跡マップの古地図モードの明治地形図も、このサイトが公開しているタイル画像を出典表示の上で利用させてもらっている。本家では明治だけでなく大正・昭和の各年代の「地形図」を細かく切り替えられるので、時代を細かく追いたくなったらこちらへ進むのが正解だ。各痕跡のカルテに置いた「この地点を明治の地図で見る」リンクからも、その場所を直接開ける。

このサイト、全国どこでも見られるわけではない。対応しているのは首都圏・中京圏・京阪神圏など全国9地域で、大阪はこのうち「京阪神圏」に含まれる。逆に言えば、京阪神圏の外にある地方都市だと、このサイトでは何も出てこない。使う前に自分の見たい場所が対応地域に入っているか、確認したほうがいい。

使い方はシンプルで、地図上で見たい場所を選ぶと、明治期の地形図と現在の地図を左右に並べて表示してくれる。年代のスライダーを動かせば、大正・昭和・平成と地図が切り替わっていく。堀川が埋め立てられていく過程や、田畑が住宅地に変わっていく様子が、地図を見比べるだけで一目で分かる。

たとえば[長堀川跡](../spots/1.html)。今の長堀通の下には、江戸初期に開削されて昭和35〜46年にかけて段階的に埋め立てられた運河があった。今昔マップで戦前の地形図を出すと、そこにはっきりと水色の帯が引かれている。心斎橋・長堀橋という地名が、なぜ橋の名前なのに橋がないのか。地図を1枚見れば、理由を説明する必要すらなくなる。

[道頓堀](../spots/23.html)も同じように確認できる。こちらは長堀川と違って埋め立てを免れた「生きている堀川」なので、明治の地形図でも現在の地図でも同じ位置に水路が残っている。埋まった川と、埋まらなかった川を並べて見ると、大阪の街がどこを残してどこを消したのか、その判断の跡が見えてくる。

国土地理院は地域を選ばないが、少し操作が固い

[国土地理院の地図・空中写真閲覧サービス](https://service.gsi.go.jp/map-photos/)は、今昔マップと違って全国対応だ。旧版地形図に加えて、年代別の空中写真(航空写真)も検索・閲覧できる。基本的な閲覧は無料だが、高解像度の画像を見るには申込・ログインが必要になる場面がある。

今昔マップが「2枚を並べて比較する」ことに特化しているのに対し、国土地理院のサービスは「特定の年の地形図・空中写真を1枚ずつ探して見る」という作りに近い。年代ごとの空中写真を追っていくと、更地から住宅が建ち並んでいく過程を写真で確認できるのが強みだ。地形図では読み取れない、建物の密度や道路の舗装状況まで写っている。

[上町台地](../spots/18.html)のような広い地形を確認したいときは、こちらのほうが向いている。上町台地は南北12kmに及ぶ大阪最古の陸地で、古代にはその東西が海や潟だった。今昔マップの画面サイズでは全体像を掴みにくいが、国土地理院の地形図を広域表示すれば、台地の輪郭とその周囲の低地の対比がよく分かる。

正直なところ、初めて触ると検索の手順にやや癖がある。目的の資料の種類(地形図等、空中写真など)を選んでから地域を絞り込む流れで、今昔マップのような直感的な地図クリックだけでは完結しない。時間に余裕があるときに触ったほうがいいツールだ。

歴史的農業環境閲覧システムは、大阪では使えない

調べていて意外だったのが、この[歴史的農業環境閲覧システム](https://habs.rad.naro.go.jp/)だ。名前だけ見ると全国対応の古地図ツールに思えるが、実際にアクセスして確認すると、対象地域は関東地方に限定されている。明治初期に作られた「迅速測図」という地図をもとにしたシステムで、東京・神奈川・埼玉・千葉・茨城・栃木・群馬が対象範囲だ。

大阪の土地を調べる目的では、このツールは使えない。もし記事や知恵袋で「歴史的農業環境閲覧システムがおすすめ」と書かれているのを見かけても、大阪在住なら開く前に対象地域を思い出したほうがいい。

「昔、川や池だった」がそのまま地盤の話にはならない

古地図を見比べていると、自分の家の場所がかつて川や沼だったと分かることがある。ここで気をつけたいのは、それが即座に「地盤が弱い」という結論にはならないという点だ。

埋め立てられた土地の地盤がどうなっているかは、古地図だけでは分からない。埋め立ての工法、埋め立てから何十年経っているか、その後にどんな地盤改良が行われたかによって、実際の強さはまったく変わってくる。地盤の良し悪しを本当に知りたいなら、本筋は自治体が公開しているボーリングデータや、各地の地盤サイト(国土地盤情報検索サイト「Kunijiban」など)を確認することだ。古地図は「土地の記憶をたどる入り口」であって、「地盤診断書」ではない。

この違いを混同すると、古地図で水域だった場所を見ただけで不安になったり、逆に根拠なく安心したりしてしまう。地図が教えてくれるのは、あくまで「その土地がどう変わってきたか」という履歴だ。そこから先の判断には、別の資料が必要になる。

古地図で見えた土地の履歴と、実際にその場所にどんな痕跡が残っているかは、また別の角度からも確認できる。

あなたの街は、明治の地図でどう描かれているか。→ [痕跡マップの古地図モードで見てみる](../index.html)

参考・出典

あなたの住所には、どんな痕跡が眠っているでしょうか。

あなたの住所の痕跡濃度を測る →

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